2015年の洪水被害に学ぶ


いま、各地で大きな水害が発生しています。2015年9月に発生した「平成27年9月関東・東北豪雨」を覚えておられるでしょうか? 8日から10日にかけては、栃木県、茨城県の鬼怒川流域を中心に記録的な大雨が降り、甚大な被害が出ました。ヘリで救助される被災者の生々しいテレビ映像を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。当会会員で常総市在住のMさんは、10日の鬼怒川決壊により自宅が水没という災難に見舞われました。その時の経験を『単身けんニュース』No. 145 (2015年11月30日発行)にレポートしてくれたのですが、いま再びわたしたち自身の身に置き換えて役立てていくために、ここに転載します。(2021年7月12日記)

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 北関東大水害・被災地からのレポート

「被災するとこうなる! 報道からは知りえない実態」

 

10月5日

 

今回常総市で被害にあった方は4万人とされています。この内約6,000人がヘリコプターやボートで救出されています(正確な数字が出ていた新聞があったのですが、見当たりません)。約15%です。割と避難に時間的余裕があっての数字です。私の町内会でも31人中33人がヘリやボートで救出されました。近い数字だと思います。

 

1人は70代の我が家の裏の1人暮らしの女性の方です。お向かいの方の避難のお誘いを断り、家に居るとのこと。鬼怒川が決壊した後2日間は家の2階で過ごしたそうです(後でご本人から聞きました)。どんどん水が来て、床下収納庫のフタもドーンと上がったのを見たそうです。まわりの物もいろんな物が流れてきて、家にあたったそうです。携帯電話はどこかにいってしまい、なぜか充電器だけ手元にあったとのことです。息子さんや親戚の方が心配し、救助要請をしても、より確実に「居る」との情報がある方、危険度が高い方が優先で、2日後にやっと見つけてもらい、ヘリで救出されました。かなり恐ろしい体験をしたのか、2日後には息子さんの所に転居届まで出して転居し、その2日後には家を解体し始めました。私の想像(あくまで)ですが、あまりにもおそろしい体験をしてしまったためか、家に戻るのも見るのも嫌になってしまったのかと思います。先日転居のごあいさつに来ましたが、一回り小さくなってしまったようで、なぜ逃げなかったかは聞けませんでした。

 

もう一人はやはり1人暮らしの80代半ばの女性の方です。やはりお隣さんの避難のすすめ、親戚の電話の説得にも応じることなく、家の2階にいたそうです。警察に長男のお嫁さんが連絡したところ、居るか居ないかわからない人の確認は後回しとのことで、2日後、お孫さんがほぼ泳ぐように胸まで浸かりながら様子を見に行ったところ、「なんで来たの」と言われたそうです。「ここにいたら命が危ない」との言葉に、「下(1階)の荷物を持ってくる」と言って立ち上がり、階段まで行き、その時初めて階段の半分まで水が来ていることがわかり、避難に応じたとのことです。2日後、家の片づけに来ていたYさんに声をかけたら、お孫さんに助けられたところまではお話が分かるのですが、その後のお話はあまりわからず、認知症にならなければいいな、と思いました。

 

Yさんのお隣りにいたMさんは6人家族の40代のお父さんです。Yさんが避難されないのを心配して2階にとどまり、結局2日後にヘリで救出されました。Yさんは、避難所が板張りなので、畳がない所には行きたくなかったというのが理由だそうです。

 

そして我が家は、鬼怒川が決壊する前に早々と避難しました...。が、やはり水は来ないと思っていました。だから、朝から娘のためにラタトウュを作っていましたので、それを(避難先の)マンションで食べ、夕方になれば水位も下がって戻ってこられると思っていましたので、何も持ち出ししませんでした。(空き巣が怖かったので、現金と通帳は持って行きましたが。)それより、マンションは長男に貸しっ放しになっていて、フリーのライターをしていますので、気が散るのでマンションには来るな、と言われていましたので、こんな機会でもないとマンションに行けないと思ったので...。マンションに行って、びっくり。そこはゴミ屋敷になっていて、お昼どころではなく、娘と私たち夫婦は近くのお蕎麦屋さんに行きました。その後はゴミ屋敷の掃除に夢中になり、長男はテレビを持ってなく、私たちはラジオを持ち出すこともなく、情報は入らず、その後、タブレットでラジオが聞けるとわかり、鬼怒川が決壊したと知った時も掃除をしていて、なぜか戻るとは思いませんでした。

 

その後、浸水したとのパソコンの動画で、みそ(手作り)、できたばかりの納豆を持ってくれば良かった。梅干しも。なぜか手作り品ばかりが浮かびました。子ども達には、避難は命だけ持って、手ぶらで逃げるのが鉄則。「おかんはそれを守っただけ。オレの部屋がきれいだったら、戻って、あれもこれも車に積み込んでいる内に、逃げ遅れるわ、車は水没するわと、命がなくなっていたかも」。

 

今、思うと、早めの避難が心の傷を作らず、よかったのかと思います。早かったため、車の渋滞もなく、テレビが無かったので、皆さんが怖い、怖いという映像(決壊時、家が流される様子の)も未だに見ていません。(せっかく強制的な断捨離をしたのですから、これからは本当に必要なものだけを持つことにしました。今でもテレビは本当に必要なものに入っていません。)だから、洪水で流されそうになった夢とかも見ることがないことが、その後の立ち直りに影響していると思うのです。

 

ここのマンションがあったので、早めに避難ができたのも確かです。避難所に行くとすれば、かなり迷ったのではと思います。本当は何事もなく、翌日家に帰り、前島さんの所は、逃げるのが早かったね、と笑われるはずが、いち早く逃げたことになり、バツが悪かったです。後でハザードマップを見ると、鬼怒川が決壊した時には、2~5m水没する地域になっており、市役所も同じ。どうしてそんな所に新しく建てたのか? 蓄電機を地下にしたことも含めて、市はいろいろとたたかれています。

 

お年寄りほど、逃げる判断ができなかったようです。このことも単身けんでのテーマにしていただけたら、と思います。

 

11月2日

 

洪水から2ヵ月が経とうとしています。この間、あまりにもいろんなことがありすぎて、何を御告すればいいのか迷うほどです。リクエストいただければと思う程です。

 

洪水の場合はいち早く逃げて欲しい、の一言です。洪水は地震と違って、云わば目に見える災害です。比較的避難するにも余裕があります。私は自分の所のハザードマップを確認していませんでした。洪水の後で確認すると、鬼怒川が決壊した場合、2~5m浸水する場所でした。市役所も市民病院も同じでしたが、地震対策は取っていても、どちらも洪水に対する備えは甘かったようです。公共機関でもこうですから、“市役所の近くだから”は、安心できないということです。ご自分の地域をハザードマップで確認し、もし、該当する川の水位が危険水位に近くなったら逃げてください。逃げる場所は、災害の起こっている市町村から出ることが大切かと思います。

 

今回も他市町村に避難した方は、その日の夕食から暖かいものが用意されたそうです。同じ市町村だと、多くの職員は洪水や避難させる方に人手がとられ、まずは避難所にさえ行けば安心と、食糧品までは手が回らなかったようです。コンビニもスーパーも水没し、選べる手段もない訳ですから。自分の住む地域より離れたら、公共機関に行けば避難場所は教えてくれるそうです。(川より離れてください。)今回常総市の隣りのつくば市のホテルに行ったという方もあり、これも頭に入れておくといいかと思います。

 

洪水になると、その地域は感電の危険があるため、すぐに停電するそうです。ヘリコプターの救助が終わるまでは通電しないそうです。電気があり情報が得られ、プライバシーも守られるホテルに1、2泊した後、いろんな情報を得て、避難所や知人宅に避難するのもいい方法かと今回は思いました。

 

持って行く物は、貴重品と預貯金通帳、現金、携帯電話、住所録。私は手紙派なので、携帯電話に登録していない友人も多く、その方たちに今回はとても心配をかけてしまいました。

 

便利だったのはクレジットカードです。市内の銀行・郵便局が再開するには3週間、コンビニはセブンイレブンが一番早く3週間、後は1ヵ月後より後でした。他市町村に行けば、いつでも下ろせますが、家の片づけ等で常に荷物を身に着けておかないと、一緒に片づけられてしまう状況の中では、現金はなるべく持たず、カードが便利でした。(もちろん被災した地域では、お店も開いていませんので、使えませんが、車で10分も走ると日常そのものです。洪水は全体からすると狭い範囲の災害かと思います。)後の支払いは怖いものの、手元のお金が減らないのは心強いものです。

 

ヘリコプターでの救助は、とても怖いそうです。なにしろ風力がハンパではないそうです。カーポートもシヤッターも飛ばされるくらいの力だそうです。それより、救助を待つ間のヘリコプターの音、救急車のサイレンの音、水の音が、ずっと耳鳴りのように1ヵ月以上悩まされたという方もいます。浴槽の排水溝から、水(泥水)が湧き上がる、音も無く室内に水が浸入する恐ろしさはトラウマになるとのことです。

 

洪水は逃げる余裕のある災害です。いち早く逃げてください。他の方のお話(死を覚悟した方も沢山います)を伺うたびに、いち早く逃げた私は怖い思いをせずに、その後の処理に前向きになれたのも、そのせいかと思います。他市町村に逃げれば、まず食糧も心配ないかと思います。ぜひぜひ車のある方は、交通渋滞になる前に、車を水没させないためにも(車社会の田舎では、一家で3、4台所有しているのも珍しくなく、すべて水没してしまった家も沢山あります)早く避難してください。一番伝えたかったことです。

 

11月11日

 

朝・夕は本当に寒くなりました。(中略)今、家のリフォームのため、内装をすべて取り除いています。壁の無い状態ですので、ここに地震がきたら...。

 

今回の洪水で学んだこと、何もいらない、命だけ持って逃げれば何とかなる、でした。通帳も印鑑も無くしましたが、お財布に入っていたキャッシュカードから、すべての情報がわかり、なんと30年前にしつこくすすめられて通帳を作ったその支店の情報まで判り、1,080円の残金の通帳の解約をするはめになりました。「いいです...」と言っても、「1つの銀行には1口座です」とのことで、いろいろ書類を書くことになりましたが、まだ手続きには行っていません。

 

前にも書いたと思うのですが、私は地震対策のため、お米、豆類、ゴマやピーナッツ、そして、飴や梅干しなどはビンに入れて保存していました。家が崩れても、家具の下敷きになっても、掘り起こせばいいと。それが今回の洪水でも大きな力を発揮しました。ペットボトルに詰めたお米(2L)は、5本中4本がまったく水が入らず、助かりました。大豆もピーナッツもゴマも、しっかりと栓をしたものは大丈夫でした。梅干しも5ビン中3ビン、ラッキョウは2ビンとも助かりました。タッバーに入れたものは駄目だったのに、栓の力ってすごいなと。水圧がかかると、よりぎゅ~と締まったみたいです。ペットボトルに入れておくと(お米など)虫がわきません。ペットボトルにロートを使って入れるのは手間ですが、すごく使いやすいので、おすすめです。震災直後は、砂糖、塩、小麦粉も入れていましたが、使いにくいので、だんだんと脱ペットボトルになっていました。

 

洪水から2ヵ月が経ち、報道もほとんどされなくなっています。忘れられてしまうのでは、との思いが強くなっています。私の町内会には、12軒、35人が住んでいました。その内1軒は取り壊して転居。お隣さんは、1人暮らしの方は老人ホームに入ったとか。残10軒中、住まわれているのは1軒2人のみです。後は親戚の家やアパートを借りたり、私たちのように子どもと同居したり...。誰も避難所に入っていません。新聞報道では避難所に居る人の人数を、今日は251人と伝えていますが、あまりにも実態とかけ離れた数字に、被害に遭ってはじめて現状の厳しさを知った思いです。

 

後で国からの援助金については詳しく書きたいと思いますが、国はなんとしても567,000円で家を修理して、家に戻れ、仮設住宅はなるべく作らない方針であることが見え見えです。それもすごく制限があって。それでも田舎の人は我慢強く、家に戻ろうとしています。

 

洪水の後、泥水に浸かったものは、衛生上よくない、すべて捨てたほうがいい...という雰囲気があり、すべてのものを捨てました。いざ台所が出来上がっても、台所用品は何もない現実に今いるのが私たちです。被害に遭っていない友人に呼びかけて、台所用品、生活用品、食器類、集めています。体がゾクゾクする、熱があるのではと思っても、体温計がない。大根を買ってきて、まな板と包丁はあっても、ピーラーもおろし器も無い。ほころびを直すにも針も糸もない。役所から手続きの手紙が来ても、ボールペンがないし、印鑑はあっても朱肉がなく、糊がない、なんて、日常生活はこまごまとしたもので成り立っていたのかを知る日々です。

 

支援物資の主なものは洋服。ボールペン1本、針1本欲しいのにと、そのミスマッチはどう解消したらいいのだろうと思う日々です。これって、今までの被災地で皆さんが経験したことなのに、なぜ今も現地のニーズと送りたい人の思いが一致しないのか。自分で経験したからこそ、なんとかして一致する方法を探りたいなと思っています。どうぞお力をお貸しください。

 

阪神大震災の時は、個人の財産は税金では保障しないとのことで、1円も国の補助は出ませんでした。その後、災害に遭った方たちの努力により、大規模半壊の我が家には家を修理した場合、2,067,000円の補助が出るようになりました。が、その使い勝手の悪いこと。安保法案で安倍首相が「国民の命と財産を守る」と言っていた以上、より使い勝手を良くすることが、被害に遭った私にできることかと思っています。