No.404◆「安部晋三元首相射殺報道」から3日経っても…

 

◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇ 

 

今朝(7/11)のニュース番組は当然参議院選挙結果一色。予想通り与党系の大勝でした。しかし私の頭の中はまだ「安部晋三元首相射殺」関連報道から脱していないのです。8日夕方のこのテレビニュースから私の目はパソコンの画面から離れなくなってしまっていました。安部元首相に関しては報道の中の人でしかなく、長きに渡る在任中も「いいことは言われないで、個人の日常の小さなことまでも表ざたにされ、批判され、よく耐えていらっしゃるなあ」程度でした。なのに今この私の動揺はどうしたことか…。

 

パソコンからのニュースでは世界中からお悔やみの言葉が届けられていて、それに対して感激し感謝する読者のコメントを読んで、私の胸は熱くなり目頭が潤んでくるのでした。その感動の心地良いこと。3日目の今日も潤っています。自分でも不思議なのです。

 

国連はじめ各国の政府・大統領・政治家・経済界・王族等々からの弔意のお言葉だけでなく、「国として喪に服す」とか、各国の政庁舎に半旗が掲げられたり、他国の有名な建造物にメッセージが投影されたり、ライトアップされたり、スポーツの国際試合開始前に黙祷が捧げられたりと、次々に寄せられる弔慰と行動の報道にくぎ付けになっています。ロシアのプーチン大統領、アフリカや中東首脳、アフガニスタンのタリバン政権、国軍と民主派の挙国一致政府(NUG)が対立しているミャンマーのそれぞれの代表らも…。

 

アメリカ国務省は、「タイのバンコクを訪問しているブリンケン国務長官が、安倍元総理に哀悼の意を表すため、予定を変更して11日、日本を訪れる」と発表していましたが、今朝午前7時過ぎには、同長官が政府専用機で在日米軍・横田基地に到着されました。

 

これらの報道の中で、元首相の訃報に対して地球を俯瞰する国際関係の機微を改めて教えてもらった気がしました。国民の1人として感動しました。

 

しかし目を覚ましてくれる記事が今日になって入ってきました。「韓国ネット上には罵詈雑言の数々 犯人を英雄視する人たち」といういくつかの記事です。「あの世で慰安婦のおばあさんたちに会ったら、100倍謝罪しろ」「銃撃犯山上は日本の初代首相・伊藤博文を暗殺した朝鮮人の安重根“義士”に匹敵」等々。地理的に極近いこの国の代表や要人からの弔慰の言葉や行動が遅いなぁーと思っていたのですが…。

 

また犯行の動機が母親の“旧統一教会”絡みで破産したことの恨みとか。このような事実は捜査関係者からではなく報道関係から報じられていますが、「隣国」だから故の対処の難しさを教えられた3日間です。近隣付き合い、親戚付き合い、近しい・親しいからこそのお付き合いの難しさを突き付けられたような気もしています。でも死者に対しての行動としてはいかがなものなのでしょうか。私は仏教的な家庭教育しか受けていないので、言葉が続けられませんが。