No. 388◆私ができる社会貢献は…

 

◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇

 

今年も3月11日がきました。テレビや全国紙は「東日本大震災」のその後を伝えていました。「復興」を伝えると言って、現在の姿とあの日の様子を重ねて映像を提供し解説して見せてくれますが、11年の歳月を経て“同じ人たち”が戻ってくるわけではないので、「復興」とはどういうことを言うのだろうかと考え込んでしまいました。

 

「復旧」と言えば元に戻すことなのでしょうが、「復興」とは「再び盛んになること」。「東日本大震災」のような大災害であれば、地形も造り変え、住む人も代わり新しいコミュニティー・地域ができることなのでしょう。それには世代や時代が変わってしまうほどの時間・年月が掛かるのですから、「ふるさと」に元の住民が戻って以前と同じような生活に戻ることではないのでしょう。元の地域に戻りたいと言う方の言葉は聞けましたが、真っ新になった大地の何所でどのような仕事をし、どのような暮らしを創っていきたいかと言う言葉はあまり聴けませんでした。

 

私は「ふるさと」意識がないと気づいています。戻って暮らしてみたい土地が思い浮かばないのです。父母・祖父母がいた地には元家族は誰もいません。もちろん家も。そして隣近所の家並みも住民もすっかり変わり、知らない世界になっています。思い起こしてみれば父母・祖父母は私に「戻って来い」とは一度も言いませんでした。父母・祖父母もきっと言われてこなかったのだと思います。なぜなら「家業」と言うものが無く、各世代とも“勤め人”だったからでしょう。そして私の子供たちも同じように「ふるさと意識」がない人生を生きて行くのでしょう。私が「家族に頼らない生き方」に関心を持ったのは、こんなところに一因があるのかもしれません。

 

「住めば都」という言葉があります。私は何度も転地・転居をしましたが、今のこの地で暮らしやすいようにと整えながら生きてきました。孤独を感じたことはありませんでした。多分周りの方たちが「袖振り合うも他生の縁」と思い、私に接してくださったからでしょう。ありがたいことです。

 

日々の報道では、天災、人災のニュースが伝えられています。コロナ禍の他、特にこの半月ほどは「東日本大震災」「ロシアによるウクライナ侵攻」の様子が多くの時間を使って報じられています。その災難の渦中にある方々が少しでも多く「他生の縁」に会い、瞬時でもいいから安堵の時間が持てますようにと祈るばかりです。祈る他に私ができるのは「寄付」だけでしょうか。