「阪神淡路大震災」から25年...

写真提供:神戸市
写真提供:神戸市

阪神大震災の発生から17日で25年が経ちました。早起きの私はあの日もテレビを点けた部屋で朝刊を読んでいました。東京でも地盤が良いと言われる立地の我が家ですが、妙な揺れ方が続きました。東海地震や首都直下型地震という大型地震が30年以内に起こる確率が70%と言われていた地震の多い東京へ転入して15年程経っていましたので、関西育ちの私は“揺れ”に敏感なっていました。

 

あまりに大きすぎた大震災だったため、テレビから惨状が届けられるまでに長い時間がかかりました。電話連絡も取れず、彼の地の知人たちの状況が分かるまでには数日が、十数日かかった方もありました。今年もあと数十分でその時刻午前5時46分を迎えます。大都会の1人暮らしの方たちの現状に想いを馳せることが恐ろしく、どうしていいかにも思いが至らず、今思い起こしても情けない私でした。戦後初のこの大都市直下型地震は、防災対策や被災者支援、等数々の課題を社会に突き付けた一方、全国からボランティアが集まり「ボランティア元年」という言葉も生まれました。私にとっては「防災対策元年」となりました。

 

あれから私は防災対策・被災時対策に耳を傾けるようになりました。木造二階建ての古家から耐震基準に合致したマンションで、停電になっても水が使えるように貯水槽からの給水でない建物に移りました。そして居間や寝室には背の高い家具は置かず、テレビやピアノもストッパーやすべり止めを付けました。納戸には飲み水のストック、台所の収納庫には食材を10日分程、冬に被災した時のために卓上コンロ用ガスボンベが利用できるストーブを買いました。しかしこれは在宅で被災した時の対策です。外出時であれば、できるだけ頑丈そうな新しいビルに飛び込むことにしてい

ます。しかし今の自分の体力では、徒歩で帰宅など...。

 

その後も大規模地震だけでなく、天災に準ずる大災害が起きています。その度に生活を見直す習慣も付きました。尊い命を伴った教訓です。自分の年齢が上がるにつれその内容も変わります。これからも備えを固めていきたいと思います。

 

情報を語ってくださった被災者の方々にお礼を申し上げますとともに、あらためて命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

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