「3.11を忘れないで」と言われて、さて・・・

 あの日から5年が経ちます。震源地から遠く離れていたこの地・東京にも影響が出ました。想定外でした。40年以上も前から、「東海大地震が来る」「首都直下型地震が来る」と警告され、そのときのために毎年訓練をし、非常事態時の自己防衛策を検討し、備蓄を更新してきていました。(今も、です。)

 しかし60年に1度くらいの間隔で三陸地震は起きていた筈なのに、私はそれに対しての対策はまったく考えていませんでした。というより、他地域での天災で、直接影響が来るとは知らなかった

のです。以前からずっと東京で暮らしていらっしゃる方々はご存じだったのでしょうか。

私に関しては、出張途中だったので、交通事情の麻痺と混乱で、「大変だった」という

ことで済みましたが・・・

 

 現地の方たちの手助けは何もできていません。少額のカンパと天引きで納める復興

税だけの協力です。

 しかし、いただいたものは沢山あります。テレビ・新聞等の報道から、そのような事例

に遭遇したら、私だったらこうしよう、というシミュレーションを沢山することができました。

 例えば発生時、瞬時に身を守ることができる場所――テーブルの下などに身を寄せる。

その時に座布団やクッションがあれば、頭部を保護する。外出中ならば強度のある建物

に飛び込む。そして落ち着くまでは外に出ない。急がないで落ち着いて次の行動を考える。等々。

 私の住む自治体の人口は90万人を超えていますから、個人の生活に行政の指示が

届くとは考えられないので、自己判断でライフラインが復旧するまでを生き抜く方法を考

えておくこと。

 避難所や仮設住宅、災害復興住宅などの支援策が受けられるとは考えられないので、

自分で善後策を講じること。

 

 私が首都直下型地震のための非常時グッズを考えだしてから40年近くになります。

その間一番変わったのは体力です。だから逃げることは考えないことにしています。

自宅が地震に耐えられなかったら、壊れた家で当面暮らすことにしています。だから食材

と燃料の確保だけはしました。排泄の始末も一応は考えてあります。

 1人ひとり環境と条件が違うので、それぞれに、そして体力と相談しながら、まずは自身

の日常の確保を考えていきませんか。

 

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