「ひとりの食卓」の心配なところ? 

 なぜか「おひとりさま」をテーマの番組が目につきます。たぶん私の関心がそこにあるからでしょう。その度に「カチン」とくることがあります。それは最初から問題視しているとしか思えない表現に出会うからです。

 

 例えば「1人の食卓は侘しい・寂しい」というフレーズ。確かに賑やかではないでしょう。でも何十年と過ごしてきた食卓です。これは日常の風景です。特に侘しい・寂しい食卓ではないのです。自分のために準備した食卓なのです。

 

 ほとんどの番組のインタビューは、妻と死別した高齢の男性とか、または夫を見送った女性たちで、子供や孫たちとは別居。元家族とのたまの会食が楽しみ、地域の会食サービスが楽しみというもの。そして締めくくりは「食事は1人でするのは味気ない、多くの人と食べるのは楽しいし、美味しい!」、「いろんな食材が使われていて、元気

が出る」。

 

 私の知人は18歳からの1人食卓のベテランです。地域の高齢者のランチサービス

に誘われて行ったけど、話題についていけず孤独感を味わったとか。なぜなら子供や

孫との付き合いや思い出話、亡き配偶者との過去話。「そうそう」とか、「そうなのよね

ぇ」という相槌を打つこともないまま終了。

 

 私が言いたいのは、1人の食卓は寂しい、バランスが悪いと決めつけないでほしい。

何十年と自分のために工夫してメニューを決め、好みの食器に盛り、好きな音楽や

ビデオを見たり、ゆったりと一日の疲れを癒してきたのです。家族を亡くした喪失感を

食卓に重ねて日々を過ごしている人とは異なるのです。

 地域の高齢者支援活動をクローズアップさせるのに重点を置き、経歴の異なる人た

ちへの配慮を欠いた編集はいかがなものでしょう。ベテランの「おひとりさま」の知恵も

借りてみてはいかが?

 

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コメント: 1
  • #1

    (月曜日, 23 5月 2016 20:46)

    まったくもって同感です。
    わたしも一人食卓のベテラン。気の合う友人とたまの食卓も楽しいけど、毎日は億劫。好きなものを好きな時に好きなペースで食べられる一人食卓の醍醐味を、寂しいだなんて決めつけるのは、想像力の欠如でしかないですね。