3.11 私へのメッセージ

震災画像

 先週末から地上波テレビは全局東日本大震災関連番組を多数放映しています。東京在住の私自身は当時外出中で、留守宅では棚の置物が2個落ちて壊れていただけで、被害と言えないかもしれませんが、帰宅するのに公共交通が全面ストップで、タクシー料金と時間が数倍掛かったくらいでした。

 しかし都内でも多くの人がかなりの影響と教訓を得たようです。23区内でも揺れ方がかなり異なり、液状化した地域もあり、首都圏直下型地震への備えの参考にしていらっしゃるようです。

 

 私は自宅にいる限り津波の心配や家屋の倒壊の危険は感じません。部屋の

中の私の定位置には、倒れ掛かる家具は置いていませんし、2週間の食糧備

蓄をしています。これらの準備は阪神淡路大震災以前からです。

 唯一の心配は地震に起因する火災です。しかし瞬時の大火災は考えにくい

ので、情報を収集しつつ、避難準備をして待機することにしています。そのため

に乾電池式のラジオは常時、コミュニティー放送局「FMせたがや」にダイヤル

を合わせたままにしてあります。生き残るつもりです。

 

 私が参考にしたい被災後情報としては、被災者自身の復興体験です。特に

高齢者の人の。

 住居を無くした人で、心身に支障が出ているのに仮設住宅から移れない人が

多いと聞いています。理由は何なのか、が知りたいです。

 家族と住みたいから、地域を離れたくないから、自分の持家が欲しいから、

などが聞こえてきていますが、本当は何が障害なのでしょうか。

 私には家族が同居しなければならないという思想はありません。各自がベスト

な環境を求めればよいと考えています。「住めば都」と思っているので、仕事を離

れた今はどの地域でも気に入ればそれでよいのです。気力・体力・思考力が落ち

た晩年は、大家さんに管理してもらえる賃貸住宅で過ごしたいと思っていますから、

高齢者向け賃貸住宅の方が住み心地が良い気がしています。

 

 こう考えてくると、私には「絆」という縛りが無いから自由なのかと思います。

「絆」は守り合うものなのか、縛り合うものなのか。柵(しがらみ)という言葉もあり

ます。絆のない所には柵もないのかもしれません。

 街の復興は皆でしなければいけませんが、自身の復興は自身でしなければなり

ません。後余命が20年らしい私はそのあたりの事例が知りたいのです。

 

 

事務局のひとりごと 目次へ