No. 380◆気持ちの伝え方―毎日投函したハガキのこと

 

恒例の年末年始帰省ラッシュのニュースが始まりました。今年は「数年に一度の強烈寒波到来」という先触れから始まり、各地で帰省客の交通手段が封じられたばかりか、お正月用品の配送にも大きな支障が出ているとか。今や帰省先がなくなった身としては同情するばかりです。

 

一方「コロナ禍」で帰省することが憚れる人たちもいらっしゃいます。そんな年末がもう2回も続いています。ある人は高速道路・マイカーで1時間という距離の実家に2年も帰れていないと嘆いていらっしゃいました。実家には高齢者や持病を抱えた人がいらっしゃるそうですが、それだけでなく「東京ナンバー」の車で行けば、クラスター発生の心配をかけるからとか。

 

私にも行くに行けなかったつらい思い出があります。40年前、母が癌で入院手術となった時、有給休暇を目一杯取って京都の病院で付き添いました。しかし東京には彼女の孫(小学生・中学生)2人がいるので、「早く帰れ」と言いました。病院は「完全看護」と言われているので大丈夫とも。昔人間の父は家事がこなせるような人ではなかったのですが、「下宿も軍隊も経験しているから何とかなるから」と。実際にはご近所の方や親戚が様子を見ながら支えてくださったのでしたが。

 

私ができたことは、毎日ハガキを出すことでした。両親が一番知りたいのは孫のこと。そこでこちらの日々の出来事をハガキに書き、通勤途中で毎朝投函しました。そのハガキがどのようにして母に届いたかを後で知って嬉しかったのです。私は自分の気持ちが治まるようにしたことでしたが、父は毎日見舞いに行く口実ができ、そのハガキ1枚を手に枕元に行き、私の家庭を話のタネにして時間を過ごしていたとか。そのことは看護師さんからもご近所さんからも聞き、うるさ型の父でしたが周りには“優しい人”と良い点数をいただく元になっていたようでした。

 

100通を超えるこのハガキは母の死後、菓子箱の中にありました。母は癌術後5年生存説を越した7年目に他界しましたが、父がこの箱を引き継いで持っていて、私の思い付きのハガキ作戦は、思わぬ親孝行になっていたようです。今なら“LINE”ですよね。顔と顔を見ながら話せるし、孫たちとも「会える」し、父も参加してチャットも楽しめるし…。

 

甥が今年入院する時、スマホは万能機器だから、何は無くとも充電器と一緒に入るようにと言ったのを思い出しました。私も緊急入院を宣告されそうになった時、スマホと充電器をバッグに入れていました。