幼い頃は受験対策としてA紙を担任から勧められ、世間の動向に敏感にならざるを得ない職業についてからは4大全国紙になっていましたが、リタイアした今は私の愛読新聞は「日経」です。12月9日、信頼を寄せて毎朝読んでいる日経の一面のシリーズ「人口と世界」を呼んで“カチーン”と来て以来不機嫌になっています。この記事のラストの締めが特に。
記事は「家族という繋がりを喪失し、社会に散らばったよるべない個人をいかに結びつけ、支え合うか。孤独という人口減少時代の病を官民の力で克服しなければ、社会は基盤から揺らぐことになる。」
単身けんは、会則に以下を明記しています。
「第2条 目的 この会は、人が“ひとり”として生きる権利を確立することを目的とする。」
「第3条 活動 (1) “ひとり”が生きにくい社会的慣習や意識、制度、法制などの検証」
この会は、家族単位で行動をする事を強制する生きにくい社会の中で、「人が“ひとり”として生きる権利を確立することを目的」として発足しました。それから30余年、やっと1人暮らしを奇異の目で見ることが少ない日常になり、自分の意志で「老い活」や「終活」をも視野に入れて日々を重ねられるようになり始めたところです。「家族という繋がりを喪失し、社会に散らばったよるべない個人」と言われて大変ショックを受けました。単身世帯と言っても「家族という繋がりを喪失」したわけでもありません。同居していないだけです。また、“人生百年時代”と言われるようになった長寿社会・高齢社会になった今、核家族化した世帯が単身世帯化するのは当然ではないのですか。これは「病」ですか?
単身世帯=孤独ではありません。1人暮らしだこそ付き合いが自由になっている、「家族ぐるみ」でなく行き来が気兼ねなくできて、「個」と「個」として親密な関係が築き上げることができている面も多いのです。「孤独」を「病」というのは間違いではないでしょうか。問題にすべきは「孤立」ではないでしょうか。「孤独」も「孤立」も当人が望んでいるのであれば「病」というべきではないでしょう。しかし行政が心配するのであれば、家族や近隣が、個人が意思表示を自由にできるように距離感をもって接することではないでしょうか。
1人暮らしの人を「家族という繋がりを喪失し、社会に散らばったよるべない個人」と極め付けるのだけは是非ともお辞めいただきたい、と言います。