ゴミ屋敷にだけはなっちゃダメ!

「私のところ、ゴミ屋敷かも・・・」という彼女。 えっ? 知識人派でしょ、あなたは! と言う私。ショックなのは私です。

 聞くところによると、1人暮らしを始めてからずっと彼女の住まいは2DK。

いつごろからそのように思うようになったのかと聞くと、姪御さんが訪ねてきて、「座るとこないじゃん! まずいよ」と言った時、ホントだ! と。

 毎日同じ状況で暮らしていたら、普通の情景のように思っていたけど、

確かに“雑然”としていると気が付いたとか。1人暮らしの気安さから、

自分が暮らしやすいように、身近に、手の届くところにポンポンと置いて

いたそうです。

 気が付いたら自分の定位置の座布団のところ以外は、本や小物や書類で

一杯になっていたとか。でも何の不自由もないし・・・

 テレビで出てくるゴミ屋敷は、レジ袋に入った食べ物のカスとか、いわ

ゆるゴミ然としたものがうずたかく積まれていて、いかにも・・・、

だけど私のところは紙モノでゴミではないし・・・。

 「でも整理してファイルするとか、片づけられるでしょ?」と言うと、

「それがね、面倒くさくなるだけで、今のままの方が便利なのよ」とのこと。

 「じゃぁ、生活アドバイザーの私が、現地視察に行こうかしら?」と言う

と、「他人様に見せられるような・・・」と拒否。

 

 これはまずいと思って欲しいです。彼女も今では75歳。ちょっと手助け

が欲しい時が来るでしょう。誰も入れないようでは、どうして危機を乗り越

えるのですか? 例えば足を痛めてゴミ出しが辛い時、2Fの彼女の部屋から

ゴミ出しをしてくれる人を頼めません。一度滞ると溜まるばかりで益々頼み

づらくなります。知人も呼べず、訪問相談も依頼できなくなったりすれば、

もう“孤立老人”になり、悪くすると“孤立死”です。お願い! 考えを変えて!

 

 私が「受援力」を広めようと言い始めて7年以上が経ちます。なぜ「受援

力」か、というと、民法(第877条)に言う“親族による相互扶助”が望めない

現実があるからです。逆に相対する社会的“支援力”は年々力を付けています。

つまり、ちょっとした支援が必要になった時、家族親族に支援を依頼しても

望めないけれど、社会にある私助、共助、公助に訴えれば、支援を受けやすい、

という現実があります。まずは他者が入れる室内にして欲しいのです。

 

*1-民法第877条の一部

1. 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

2. 家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか、

  三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。

 

 

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